左幸子さんといえば、昭和を代表する名女優として数々の作品に出演し、その圧倒的な演技力で多くの人々を魅了しました。しかし、彼女の人生は華やかなものだけではなく、数々の悲劇と裏切りに満ちていました。
左幸子さんは、1930年に富山県下新川郡旭日町で生まれました。5人姉妹の長女として育ち、東京女子体育専門学校(現・東京女子体育大学)を卒業後、都立第5商業高校の教師として働き始めます。しかし、その後彼女の運命を大きく変える出来事が起こります。
左さんはその後も多くの映画に出演し、特に1963年の映画『日本昆虫記』では、日本人初のベルリン国際映画祭女優賞を受賞するという偉業を成し遂げました。この映画では、貧しい農村で売春宿の女中からマダムへと成り上がる女性を凄まじい迫力で演じ、その演技は多くの観客を圧倒しました。
そんな輝かしいキャリアを誇った左さんですが、私生活では決して順調とは言えませんでした。1963年に結婚した夫・羽仁進さんとの間には、長女も誕生し、一見すると幸福な家庭生活を送っていたかに見えました。しかし、その裏で不穏な影が忍び寄っていたのです。
夫・羽仁進さんと左さんの実妹である左君子さんの間に不倫関係が生じたのです。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください