花のお江戸で最も華やかな場所といえば、やはり吉原の遊廓でしょう。世間が飢饉や不景気で苦しむ中でも、吉原だけは別世界だったようです。美しく飾った遊女たちは世の男たちを虜にし、その華やかな姿を描いた浮世絵は飛ぶように売れました。しかし、遊廓という場所はその華やかさとは裏腹に、闇の一面を持っていました。それは遊女たちにとっての生き地獄であり、抜け出せない伏魔殿だったのです。今回は、遊廓について食事情からその闇の世界を紐解いてみたいと思います。
遊女というのは職業の一種ですが、女性たちが進んでつくものではありません。多くの場合、親や夫の借金のために売られるケースが多く、時には親族が起こした犯罪を肩代わりする形で遊女となることもありました。
吉原では概ね三千から五千人ほどの遊女がいたとされていますが、高級遊女になれる女性はごくわずかに過ぎません。ほとんどの遊女が強圧的な支配の下で暮らしていました。さらに遊廓では一種の階級制度が敷かれており、最高位は「太夫」で、この階級はほんの一握りしかなれません。その次に「格子」がありましたが、江戸時代中期には太夫も格子も絶えてしまい、それ以降はいわゆる「花魁」
花魁は二階に個室を与えられており、下女や付き人の禿が朝食を運びました。江戸時代後期の作家が書いた小説には、おかずの内容に不満を言う遊女の姿が描かれていますが、米だけはたくさん食べることができたようです。
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引用元:https://youtu.be/mFwzWDN-5CU?si=3nrgbcmhNidfg_Nm,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]