伊良部秀輝の生い立ちとプロ野球人生
伊良部秀輝さんは、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手で、日本プロ野球史上最速投手として知られています。かつてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)で村田兆治さんや前田幸長さんらと共に活躍し、清原和博さんとの対決は「平成の名勝負」と称されました。
中学時代にはボーイズリーグ兵庫尼崎に入団し、4番エースとしてチームを牽引。香川県の尽誠学園高等学校にスカウトされ、高校2年生時と3年生時には全国高等学校野球選手権大会に出場。1987年、ロッテオリオンズにドラフト1位で指名され、契約金5000万円、年俸500万円でプロ入りを果たしました。
メジャーリーグでの活躍と苦悩
1997年、伊良部さんは念願のニューヨーク・ヤンキースに入団。日本人初のメジャー契約選手となりました。しかし、メジャーリーグでの成績は波があり、降板時にブーイングを浴びせられるなど苦しい時期も経験しました。
伊良部さんは成績が振るわず、ヤンキースのオーナーであったジョージ・スタインブレナーからも「伊良部にはもう期待しない」と言われるほどでした。それでも、メジャー初登板初勝利や2年連続MLBチャンピオンリングを獲得するなど、日本人初の記録を次々と打ち立てました。
引退後の奇行と心の病
引退後、伊良部さんはアメリカに渡り、カリフォルニア州ロサンゼルスで「スーパーうどん」というフランチャイズチェーンを立ち上げました。しかし、次第に経営はうまくいかなくなり、2007年に廃業。その後、再び野球に復帰するも、右手首の腱鞘炎で思うようにプレーできず、再び引退を表明しました。
私生活では韓国人の妻、キョンスさんと2人の娘と共に生活していましたが、伊良部さんは次第に酒に溺れるようになり、夫婦関係は冷え切ってしまいました。
最終的には妻と子供たちが家を出て行き、伊良部さんは孤独の中で精神的に追い詰められていきました。
悲劇の最期とその後
2011年7月27日、伊良部さんが自宅で首を吊って亡くなっているのが発見されました。遺体発見の数日前から連絡が取れず、知人が自宅を訪れた際に隣人の女性に通報してもらったことで、警察が駆けつけました。泥酔状態での自殺だったことが明らかになりました。
伊良部さんが自殺を選んだ理由として、うどん屋の事業失敗、妻と子供との別居状態、野球指導者としての夢が叶わなかったことなどが挙げられます。
家族との確執と無縁仏
伊良部さんの死後、妻キョンスさんは残された喧花台を早々に撤去し、「自殺した人間の家と知られたくない」という理由を挙げました。また、日本にいる家族とも確執があり、葬儀では近親者のみで行われたにも関わらず、日本から駆けつけた実の姉と妹は入場を拒否されました。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Ycke-zsxuyM,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]