近藤真彦さんは、1980年代のトップアイドルとして多くのファンを魅了してきました。彼の才能とカリスマ性はジャニーズ事務所を大いに支えましたが、そんな近藤さんを寵愛してきたのが、ジャニー喜多川さんの姉であり、事務所の影の実力者として君臨していたメリー喜多川さんでした。
ジャニーさんが1962年にジャニーズ事務所を設立すると、メリーさんは経営面を支え、フォーリーブスのスタイリストも務めるなど、多岐にわたる役割を担いました。彼女の強力なバックアップにより、近藤真彦さんは一気にスターダムにのし上がりました。
メリーさんは、近藤さんを「マッチ」と呼び、彼を非常に可愛がりました。彼女の寵愛は過剰とも言えるもので、あるインタビューでは、スマップや嵐の共演が少ないという質問に対し、「まずはマッチと共演すべきだ」と激怒する場面もありました。
さらに、「マッチとジュリー(メリーさんの娘)を結婚させるつもりだった」とまで語るなど、近藤さんへの特別扱いが際立っていました。
しかし、1985年の映画『大旅立ち』での共演をきっかけに、中森明菜さんと交際を始めた近藤さんに暗雲が立ち込めます。中森さんとの関係はスキャンダルに発展し、1989年には中森さんが近藤さんの自宅で自殺未遂事件を起こす事態にまで発展しました。これに対しても、メリーさんはメディア操作を行い、近藤さんを守ろうとしましたが、スキャンダルの影響は大きかったのです。
さらに、近藤さんは一般女性と結婚しましたが、メリーさんの寵愛は続きました。しかし、2020年にアパレル会社社長との不倫が報じられると、メリーさんの態度は一変します。メリーさんは近藤さんに対して「マッチらしく責任を取りなさい」と厳しく諭し、近藤さんは無期限の芸能活動休止を余儀なくされ、最終的にはジャニーズ事務所を退所しました。
このように、近藤真彦さんとメリー喜多川さんの関係は非常に複雑で、歪んだものでした。メリーさんの寵愛があったからこそ、近藤さんは一時的にスターとして君臨しましたが、その関係が逆に彼を苦しめる結果となったのです。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=8P-i-f321aM,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]