1970年代後半から80年代初頭にかけて、日本の車文化は一種の黄金時代を迎えていました。街中や山道で耳にするエンジン音、そしてタイヤが路面を強く掴む音。そんな時代に生まれたのが、写真に写るようなオモステ(オモテッドステアリング)車でした。
この時代、パワーステアリング(パワステ)などの技術はまだまだ普及しておらず、ドライバーたちはその腕力と技術を駆使して車を操作していました。特に、改造車愛好家たちは、パワステの有無に関係なく、自分たちの車を個性的に改造し、走り屋としての腕を磨くことに没頭していました。
昭和の改造車文化
昭和の改造車文化は、車だけでなく、その時代を生きた若者たちの情熱やロマンに満ちていました。改造車はただの交通手段ではなく、個人のアイデンティティの象徴でもあったのです。エンジンの出力を上げるためのチューニング、排気音を轟かせるマフラーの交換、そしてもちろん、走りのスタイルを決めるボディの改造。これらの改造は全て、ドライバーたちが自分の車を「唯一無二の存在」にするための手段でした。
そして、オモステ車もその一環として、多くの若者たちに愛されました。パワステが無い分、ハンドル操作には相当な力が必要でしたが、それこそが「真のドライバー」
パワステなしの驚愕の性能
パワステなしの車、いわゆるオモステ車は、そのシンプルさゆえに軽量で、ハンドリングも非常にダイレクト。特に山道でのカーブやヘアピンでは、ドライバーが直接路面を感じ取りながら、車を自在に操ることができました。このダイレクトなフィードバックは、現代のパワステ車では得難いものであり、当時のドライバーたちはその感覚に魅了されていました。
写真に映る車も、おそらく当時の流行に乗った改造車でしょう。大型のリアスポイラー、ワイドフェンダー、そして深く踏み込んだ車高。これらの要素は全て、車をより速く、より安定して走らせるための改造です。そして、パワステなしでも安定した走行を可能にするために、ドライバーは自分の体力と技術を最大限に活かしていたのです。
昭和の改造車と若者たちの情熱
昭和の改造車文化は、単なる「車好き」の枠を超え、仲間との絆やライバルとの競争心を育む場でもありました。夜な夜な集まる「峠」や「首都高」では、同じ志を持つ者たちが集い、互いの車を見せ合い、その走りを競い合いました。その中で、パワステなしのオモステ車は特に一目置かれる存在であり、その車を操る者たちは「本物の走り屋」として尊敬されていたのです。
彼らは、車に乗ること自体が一つの冒険であり、挑戦でした。パワステなしの車を操ることで、自分自身の限界に挑み、そしてそれを超える瞬間の達成感を味わっていたのです。現代の車に乗る私たちには想像もつかないほどの熱意と努力が、そこにはありました。
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