昭和の女優として、左幸子さんの名を聞いたことがある方は多いでしょう。彼女はその独特の存在感と圧倒的な演技力で多くの人を魅了し、日本映画史に残る名作に数多く出演しました。特に1963年の映画『にっぽん昆虫記』で日本人初のベルリン国際映画祭女優賞を受賞したことは、今でも語り草です。しかし、その華やかなキャリアの裏側では、彼女の私生活は想像を絶するほどの波乱に満ちていました。
1930年、富山県に生まれた左幸子さんは、幼少期から演劇に興味を持ち、俳優座での演技指導を受けたのち、1952年に映画『書日の過ち』でスクリーンデビューを果たしました。以降、彼女は次々と名作に出演し、1955年の『所中古』では毎日映画コンクールの女優賞を受賞。
そして、1963年に『にっぽん昆虫記』での演技が認められ、ベルリン国際映画祭で日本人初の女優賞を受賞。これにより、左幸子さんは国内外で高い評価を得ることとなり、彼女の名前は世界に広がりました。輝かしいキャリアを持つ彼女ですが、その影で夫と妹、そして娘による裏切りが彼女を襲いました。
1959年、左幸子さんは映画監督の羽仁進さんと結婚。
その離婚の背景には、羽仁進さんと左幸子さんの実妹・公子さんとの関係があったのです。実は、公子さんは1964年頃から左幸子さんの家に出入りし、育児を手伝っていました。
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