増田恵子さん(本名:桑恵子)は、1957年9月2日、静岡県静岡市で生まれました。彼女は1970年代後半から1980年代初頭にかけて、ピンクレディーのメンバーとして大きな人気を博しました。彼女の経歴は華々しいものでしたが、その裏には厳しい現実や数々の試練があったことはあまり知られていません。
ピンクレディー時代の苦悩と"枕営業"の噂
ピンクレディーとしての成功は絶大でしたが、昭和の芸能界は現在のように透明性が高いものではなく、暗黙のルールが存在していました。特に若い女性アイドルたちは、事務所から「枕営業」を強要されることがあったとされています。処女性が重んじられるアイドルの世界では、デビュー前に経験を持つことは珍しく、純粋さを求められることが多かった一方で、同時に枕営業を強いられるという厳しい現実があったのです。
増田恵子さんも例外ではなく、ピンクレディーのメンバーとして、二人での営業を要求されたという話がささやかれていました。しかし、増田さんはこうした要求に対して強く抵抗しており、事務所や周囲との軋轢があったと伝えられています。特に、彼女が野口五郎さんとの恋愛関係にあった頃、枕営業に対する反発がさらに強くなったようです。
野口五郎との熱愛と破局
増田恵子さんと野口五郎さんの熱愛は、当時の芸能界でも大きな話題となりました。写真が撮られ、婚約の噂が飛び交う中、二人は交際を否定していましたが、実際には深い関係にあったことが後に明らかになります。増田さんは彼との交際に夢中になり、事務所からの圧力にも屈せず「仕事をやめるつもりはないが、彼とも別れるつもりもない」と言い切ったそうです。しかし、最終的にはお互いの仕事のすれ違いや、野口さんの家庭に対する思いが原因で破局に至ったと言われています。
増田恵子の結婚と夫の自己破産
その後、増田恵子さんは一般男性である桑智さんと2002年に結婚します。桑智さんは株式会社ギルドジャパンの社長を務め、映画やドラマの音響技師として活動していました。しかし、2004年に桑智さんが自己破産を申請し、彼の経営する会社も倒産してしまいました。この出来事は新婚当初の二人にとって非常に辛い出来事であり、夫婦で苦しい時期を乗り越えたそうです。
それでも、増田恵子さんは夫と共に新しい生活を築き、夫婦として強い絆を持ちながら、現在も穏やかな生活を送っています。彼女は「何も期待しない夫だからこそ、気楽に新婚生活を送ることができた」
病気との闘いと現在の姿
増田恵子さんは、ピンクレディーとしての活動が終わった後も、ソロ歌手としてや女優として活躍してきましたが、彼女の健康状態は決して順調ではありませんでした。1990年代にバセドウ病を発症し、長年にわたってこの病気に苦しんでいました。甲状腺ホルモンの異常分泌が原因で、手の震えや激しい動悸など、日常生活にも大きな支障をきたす症状に悩まされました。
その後、バセドウ病の治療を受け、一時は回復しましたが、再発を繰り返すこととなります。ピンクレディー再結成時には、彼女の首の腫れが隠しきれないほどで、最終的にはファンに病気を公表することとなりました。また、彼女はその後メニエール病も患い、激しいめまいや吐き気に苦しむこともあったそうです。
まとめ
増田恵子さんの人生は、華やかなステージでの成功だけでなく、病気や夫の自己破産など、多くの困難を乗り越えてきました。しかし、彼女は常に前向きであり、夫との絆を深め、病気と向き合いながらも、今なお芸能界で輝き続けています。増田恵子さんの強さと誠実さは、多くのファンに勇気を与え続けていることでしょう。
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