平安の世を彩る伝説的な人物、藤原道長。その名を知らぬ者はほとんどいないだろう。しかし、彼の名に付随するイメージは「傲慢な独裁者」「この世を牛耳る最高権力者」というものが大半だ。そんな道長が詠んだとされる有名な和歌、「望月の歌」を、現代の視点でどう解釈するか。そしてそれをドラマでどう表現するか、多くの視聴者は期待と不安を抱いていた。
教科書で学んだ道長の姿は、栄華を極めた権力者そのものだった。3人の娘がそれぞれ天皇の后となり、「一家三后」
「この世をば 我が世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」
教科書ではこの歌を、道長が己の全盛を誇示したものとして教えられてきた。しかし、本当にそれだけの歌だったのだろうか?
ドラマ「光る君へ」で描かれた道長は、そんな一面的な独裁者像からは大きくかけ離れていた。俳優・柄本佑が演じた道長は、ただ権力に酔いしれる人物ではなく、家族や恋人、そして自らの約束に向き合い続ける一人の人間として描かれていた。
「望月の歌」を詠むシーンでは、道長さまはあの満月を見上げながら、月に静かに祈るような佇まいを見せる。その表情は厳かでありながら、どこか切なさを帯びていた。それはまるで、恋人まひろとの約束を振り返り、「俺、やり遂げたよね?」と問いかけるような瞬間だった。
満月の下で詠まれた「望月の歌」は、傲慢さの表れではなく、むしろ平穏な世の中を願う一人の人間の祈りとして表現された。
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