昭和の終わりに近づく頃、日本の学校教育において、ある大きな変化が起こった。それは、長年にわたり女子体育の象徴であった「ブルマ」が突然廃止され、代わりに短パンが導入されたことだ。この変化は一見すると単純な衣替えのように思えるが、その背後には複雑な社会的背景や政治的な動きが隠されていた。
ブルマの誕生と普及
まず、ブルマの歴史について少し振り返ろう。ブルマは元々、19世紀に欧米で誕生した女性用の運動服であった。日本には昭和初期に導入され、徐々に女子の体育着として定着した。その特徴的なデザインと機能性から、戦後の学校教育において広く普及し、1960年代には日本全国の女子学生にとって定番の運動服となった。
この時代、日本は東京オリンピックの成功によりスポーツブームが巻き起こっていた。特に女子バレーボールチームがソビエト連邦を破り、金メダルを獲得したことで、「東洋の魔女」として国際的に注目を集めた。この快挙は、日本国内でのスポーツに対する関心を一層高め、ブルマの人気もピークに達した。
廃止への兆候
しかし、1980年代後半になると、ブルマに対する反対の声が次第に高まっていった。名古屋市の女子高生たちがブルマ着用に対して反対運動を起こしたのがその始まりである。彼女たちは、ブルマが露出度が高く、恥ずかしいと感じていた。また、ブルマは一部の男子生徒や大人たちから性的な目で見られることが多く、精神的なストレスを抱える原因ともなっていた。
この反対運動は瞬く間に全国に広がり、多くの学校がブルマから短パンへの変更を検討し始めた。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Jo_ZzmUx6QQ,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]