昭和44年(1969年)、日本は高度経済成長の真っただ中にあり、街の風景も生活のスタイルも大きく変わりつつあった。しかし、その変化の中でも、家庭内での小さな習慣やアイテムが持つ意味は変わらないものだった。その一つが、この「テレマー」と呼ばれるゼンマイ式の15分タイマーだ。
この赤いテレマーは、当時の電電公社が市内通話の料金体系を改定した際に、各家庭に配られたものだった。市内通話が1回10円から3分10円に変更され、長電話を防ぐための工夫として、このタイマーが誕生した。しかし、実際にこれを使って電話をかけた人は少なく、むしろ家庭内で別の用途に使われることが多かった。
私がこのテレマーに初めて出会ったのは、幼少期の家族の食卓だった。家族全員が揃う夕食時、母はこのタイマーを「ラーメンタイマー」として使っていた。私たちが「ジリジリ」と音を立てるこのタイマーの音を聞くと、それはすぐにラーメンができる合図であり、家族全員が湯気の立つラーメンを待ち望む瞬間だった。父は「今度こそスープをこぼすなよ」と笑いながら私をからかい、母はいつもと変わらない優しい笑顔で鍋をかき回していた。
昭和の家庭に息づくテレマーの役割
東京の家庭で赤いテレマーが使われている一方で、横浜の親戚の家には青と白のテレマーがあった。どちらも形状は同じだが、色によって少し異なる雰囲気を持っていた。その親戚の家でも、やはりラーメンタイマーとして活躍していたが、同時に「これで時間を測りながら宿題をするんだよ」
テレマーのジリジリと鳴る音は、当時の家庭にとってはどこか心地よいリズムだった。電話のために使うことは少なかったが、日常生活の中で、このタイマーは家庭の一部となり、時間の管理だけでなく、家族のコミュニケーションの中心にあったのだ。
変わりゆく時代と共に
しかし、時代が進むにつれて、家庭内での生活スタイルも変わり、このテレマーも次第に使われなくなっていった。やがて、電子レンジやデジタルタイマーが登場し、テレマーは引き出しの奥にしまわれる存在となっていった。それでも、このテレマーを捨てることができなかったのは、そこに家族の思い出が詰まっていたからだ。
私にとって、このテレマーは昭和の象徴だった。家庭の中で育まれた小さな習慣、家族との絆、そして失われていく時代の風景。今でも、この赤いテレマーを見つめると、あの頃の家族の笑い声や、温かな食卓の風景が頭に浮かんでくる。そして、昭和という時代が、いかに豊かであたたかいものだったかを実感するのだ。
テレマーが奏でる昭和のリズム
最近、久しぶりに実家の整理をしていた際に、このテレマーを見つけた。古びたものではあったが、その赤いボディは今でも鮮やかで、ゼンマイを巻けば昔と変わらずジリジリと音を立てた。正確に15分を測るこのタイマーは、まるで時代を超えて生き続けているかのようだった。
「これでラーメンでも作るか」そうつぶやきながら、私は再びこのテレマーをキッチンで使い始めた。母が使っていた頃と同じように、タイマーの音が響く中でラーメンを作る。そして、その音を聞きながら、失われた昭和の時代を思い起こすのだった。
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