昭和41年(1966年)頃、東京の神楽坂。写真に映る街並みは、まだ都電が走っていた頃の情景だ。この時代、東京は高度経済成長の真っただ中にあり、都市は急速に変貌していた。しかし、そんな喧騒の中で、神楽坂はどこか時間が止まったような静けさを保っていた。
その年、私は初めて東京に足を踏み入れた。新宿区の神楽坂は、坂の多い町として知られ、古くから文化人や芸能人が集う場所だった。路地裏には古びた料亭が立ち並び、都電がガタゴトと走る音が日常のBGMとなっていた。その音に耳を傾けながら、私はこの町の魅力に引き込まれていった。
街の変貌と失われた“影”
しかし、私が訪れたその日、神楽坂の風景はいつもと違っていた。普段は活気に満ちた商店街も、その日はどこか陰鬱な空気が漂っていた。理由を尋ねると、地元の商店主はため息をつきながら語り始めた。
「最近、この辺りでは奇妙な出来事が起きているんですよ。夜になると、都電の線路沿いに“影”が現れるんです。誰もその正体を知らないし、声をかけても答えはない。昼間のこの賑やかさが嘘のように、夜になると街は不気味に静まり返るんです。」
その話を聞いて、私は妙な胸騒ぎを感じた。昭和の時代、東京は近代化に向けて加速していたが、その裏で何かが失われているのではないかという不安が頭をよぎった。
都電の終焉とともに消えた影
時が経ち、昭和40年代の後半になると、都電は次々と廃止されていった。
あの日以来、私が再び神楽坂を訪れたのは都電が完全に姿を消した後だった。街はすっかり様変わりし、以前の静けさや風情は影を潜めていた。あの商店主が話していた“影”も、いつの間にか消えてしまったようだった。
街が変貌する中で、古き良き昭和の風景もまた消え去ったのだ。
変わりゆく東京の中で
それでも、私の心には昭和41年頃の神楽坂の記憶が強く残っている。都電が走る街並み、商店街の人々の賑わい、そしてどこかミステリアスな雰囲気が漂っていたあの時代。東京は変わり続けているが、あの時の神楽坂の風景は私にとって、いつまでも色褪せない記憶として残っている。
時代は変わり、街も人も移り変わっていく。しかし、昭和という時代に刻まれた記憶は、今もなお私の心に深く根付いている。神楽坂の“影”もまた、あの時代の産物だったのかもしれない。
東京が変貌を遂げる中で、昭和の面影を残す場所は少なくなっている。それでも、神楽坂には、まだどこか昭和の香りが漂っているような気がする。新しいものが生まれる一方で、古いものが消えていく――そんな時代の波に抗いながら、神楽坂はこれからもその独自の魅力を保ち続けていくだろう。
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