子どもの頃の思い出の中で、特に鮮明に残っているのは、友達と空き地で野球をしていた時のことです。あの日も、いつものように放課後の時間を使って、近所の空き地で野球をしていました。空き地は砂利だらけで、まともなグラウンドとは言えませんが、それが私たちの「球場」でした。そこには、学校のチームには入っていない、野球好きの子どもたちが集まっていました。
私たちはいつものように、チームを分けて試合を始めました。バッター、ピッチャー、キャッチャー、それぞれが自分のポジションにつき、試合は進行していました。しかし、ある日突然、私たちの試合に変わった出来事が起こりました。
その日、いつものようにプレーをしていると、ふと気づくと一人のおじさんがベンチに腰掛けていました。
やがて、おじさんはゆっくりと立ち上がり、私たちのプレーに近づいてきました。そして、何も言わずに突然、審判のような振る舞いを始めたのです。「ストライク!」「ボール!」と、大きな声で判定を下し始めたのです。私たちは驚きましたが、そのおじさんの真剣な眼差しに引き込まれ、次第にその状況を受け入れるようになりました。
そのおじさんは、見るからにただ者ではない雰囲気を醸し出していました。背は高く、どこか洗練された感じがありました。彼の判定は的確で、公平でした。私たち子どもたちは、そのおじさんの存在を次第に受け入れ、彼の判定に従うようになりました。
試合が進むにつれ、そのおじさんはただの審判だけではなく、私たちのコーチのような存在になっていきました。
バッティングのフォームやピッチングのコツなど、アドバイスをくれるようになりました。そのアドバイスは非常に的確で、私たちのプレーは目に見えて向上していったのです。
ある日、いつものようにおじさんが審判をしていると、一人の友達が「あのおじさん、昔プロ野球選手だったんじゃないの?」と言い出しました。確かに、その動きや知識から見ても、ただの野球好きなおじさんとは思えませんでした。
その後、おじさんとの話が進むうちに、彼がかつてプロ野球選手だったことが判明しました。怪我によって引退を余儀なくされ、その後は地元で静かに暮らしていたのだそうです。しかし、野球への情熱は消えることなく、こうして私たちのような子どもたちに自分の経験を伝えたいと思っていたとのことでした。
おじさんが現れてからというもの、私たちの野球への情熱は一層深まりました。彼の存在が、私たちのチームを一つにし、技術を向上させる大きな原動力となったのです。あの日々は、ただの野球の思い出だけでなく、人との出会いが人生にどれほど大きな影響を与えるのかを教えてくれました。
そして、そのおじさんの教えは、私たちの心に深く刻まれました。彼が審判として現れたことで、私たちの野球の楽しさは倍増し、彼の教えは今でも私たちの心に生き続けています。そんな思い出は、一生忘れることのできない宝物です。
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