皇室の中でも、その歴史と伝統を背負う旧宮家は、多くの人々にとって謎めいた存在です。そして最近、特に注目を集めているのが、旧宮家のひとつである「賀陽家」。その背景には、金城天皇のご息女である愛子さまのお婿さん候補として、賀陽家の方々が話題になっているからです。
まず、賀陽家の成り立ちを振り返ると、宮家の一つとしてその歴史が始まったのは、明治時代のことでした。賀陽家は、明治33年(1900年)に久邇宮家の次男であった賀陽宮邦憲王によって設立されました。邦憲王は、明治天皇の従兄弟にあたり、当時の皇族の中でも非常に高い皇位継承順位を持っていたことが知られています。彼の兄である久邇宮邦彦王が久邇宮家を継承し、邦憲王は賀陽家を新たに創設し、その名を歴史に刻みました。
しかし、戦後の日本社会の大きな変化により、賀陽家もまた他の旧宮家と同じく、昭和22年(1947年)の皇籍離脱を余儀なくされました。これは、第二次世界大戦後に日本が連合国に敗戦し、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策の一環として、多くの宮家が皇籍を離れたことによるものです。GHQは、天皇をあら人神ではなく「人間」として宣言させ、皇室の権威を削ぐための一環として、多くの宮家を皇籍から離脱させました。これにより、賀陽家も皇族から民間人へと転じることになったのです。
賀陽家は、現代でも皇室と非常に深い繋がりを持っています。特に、金城天皇と賀陽家の関係は注目に値します。現在の賀陽家の当主である賀陽正則氏は、金城天皇と幼少期から学友として親しくしてきました。お二人は、学習院の初等科から大学までずっと共に過ごし、強い信頼関係を築いていたと言われています。このような背景から、愛子さまのお婿さん候補として賀陽家の名前が挙がっているのも不思議ではありません。
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