徳島県剣山の伝説と歴史的な謎を解明するために、私たちはかつて剣山の見番を務めた新田亀三郎さんの実家、徳島県木屋平を訪れました。
木屋平の山奥に佇む新田家の家屋。その一角にある神棚から、驚くべき品が発見されました。それは、古びた木箱に大切に収められた鏡でした。この鏡の裏側には、皇室の象徴である「菊花紋」が彫られており、その美しさと歴史的価値に目を見張るものでした。
菊花紋とは、日本の皇室が古くから用いている紋章で、16枚の花弁を持つ菊の花が描かれています。この鏡には、その菊花紋が表裏両面に刻まれており、極めて珍しい形状をしています。さらに、この鏡を製作したとされる人物の名「藤原吉丞」が刻まれており、この人物が鏡の専門家であったことが推測されます。
鏡とともに発見されたのは、亀三郎さん自身の写真でした。この写真には、亀三郎さんとその家族が映っており、背景には昭和天皇の写真も飾られていたのです。なぜ亀三郎さんの家に皇室の菊花紋が刻まれた鏡があり、昭和天皇の写真が飾られているのか、その関連性は未だ謎のままです。
亀三郎さんが皇室と何らかの関係を持っていたのか、それとも剣山にまつわる伝説や信仰に関わる存在であったのか、謎は深まるばかりです。この鏡が何世代にもわたり受け継がれてきたことは明白ですが、なぜこのような貴重な品が新田家に存在していたのか、その理由は不明です。
江戸時代には、鏡に「天下一」という称号をつけることがありましたが、この鏡もその一例である可能性があります。しかし、この「天下一」という称号は、1682年に江戸幕府によって使用が制限され、その後再び使用が許可されたのは1772年以降です。したがって、この鏡が製作されたのは1772年以降であると推測されます。
菊花紋が描かれた鏡は、江戸時代には比較的自由に使用されていたとはいえ、このように表裏両面に刻まれている鏡は極めて珍しいものです。この鏡が亀三郎さんの手に渡り、神棚に大切に保管されていた理由は、亀三郎さんが持っていた信仰や伝統に深く関わっているのかもしれません。
新田家の家屋には、他にも数々の歴史的な品々が保管されており、その中には剣山にまつわる神秘的な物語が隠されている可能性があります。剣山は古くから、日本神話や歴史的伝承に登場する重要な場所であり、その伝説は今なお人々の興味を引き続けています。
この鏡が剣山の伝説とどのように結びついているのか、そして亀三郎さんがどのような思いでこの鏡を守り続けてきたのか、さらに調査を進める必要があります。
今回の取材で明らかになったのは、単なる鏡ではなく、歴史的かつ神秘的な意味を持つ品であるということです。この鏡が今後どのような物語を語りかけてくれるのか、私たちは引き続き新田家の家宝を調査し、その謎を解き明かしていきたいと思います。