幕末期、歴史の教科書やドラマでよく登場するのは、薩摩藩や長州藩などが中心ですが、実はもう一つ、圧倒的な強さを誇った藩が存在していました。それが、肥前佐賀藩です。この佐賀藩こそが幕末の「隠れた最強藩」として、当時の日本をリードする存在だったのです。しかし、なぜ佐賀藩がそれほどまでに強力だったのか、今回はその謎に迫ってみたいと思います。
江戸時代後期、佐賀藩は深刻な財政難に見舞われていました。肥前佐賀は名所や名物が少なく、藩内の資源も乏しかったため、経済的には非常に厳しい状況でした。藩主鍋島家は代々佐賀を治めていましたが、そのために多くの家臣を抱える必要があり、これが藩の財政を圧迫していたのです。特に、江戸時代の後期に入ると、財政状況はさらに悪化し、ついには破産寸前にまで追い込まれることとなります。
そんな状況下で藩主となったのが、若き鍋島直正でした。彼は17歳という若さで藩主に就任しましたが、幼い頃から教育を受け、非常に聡明かつ先進的な考えを持つ青年でした。藩の財政を立て直すため、直正は大胆な改革を開始します。
直正が最初に取り組んだのは、人事改革でした。藩の財政を圧迫していたのは、過剰な数の家臣と高額な俸禄でした。そこで直正は、家臣の数を大幅に削減し、藩のスリム化を図りました。また、贅沢な暮らしを禁じ、藩内の節約を徹底するなど、様々な節約政策を打ち出しました。
さらに、商人たちとの交渉を通じて、藩の借金を長期的に返済する計画を立てました。この時、他の藩が借金を踏み倒す中、佐賀藩は誠実に返済する意思を示し、50年から100年かけて返済することを約束しました。
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