広島市の平和祈念資料館に展示されている写真には、顔や腕にひどい火傷を負った少年が医師の治療を受けている姿が写っています。戦後78年、この少年が誰なのかがようやく明らかになりました。
この写真に写る少年が自分の父だと気づいたのは、大阪府に住む原田昇吾さんでした。父の成夫さんは、16歳の時に広島で被爆し、奇跡的に生還した一人です。原田さんが父について知ったのは、約30年前に両親と広島の平和記念資料館を訪れたときでしたが、その時は深く考えることはなかったと言います。
成夫さんは、鹿児島から志願して陸軍に入り、広島で特攻部隊の通信要員として従事していました。被爆したのは、広島市内の国民学校で朝礼中のこと。爆心地からわずか1.7キロの地点でした。
成夫さんは全身に火傷を負い、特に顔や頭部の火傷が深刻でした。彼は広島赤十字病院に運ばれましたが、そこは医薬品も器具も不足しており、治療は困難を極めました。それでも数か月の入院を経て彼は命を取り留め、その後、妻となるみな子さんと出会い、家庭を築きました。
原田さんが父について資料館に伝えたのは、広島赤十字病院で撮影された写真に写っていた医師が特定されたというニュースを見たのがきっかけでした。取材班は、人物鑑定の専門家に写真の鑑定を依頼。鑑定の結果、写真に写っている少年と成夫さんは、同一人物である可能性が極めて高いという結論が出ました。
78年も謎だった少年の正体が、ついに明らかになったのです。
原田さんはこの結果を受け、父が被爆した場所を訪れるために広島へ向かいました。そこで、父がどれほどの苦しみを味わったのかを改めて実感し、父の生存が自分たちの存在に繋がっていることに感謝の気持ちを抱きました。
広島で、原田さんは写真に写っていた医師の長女、永田陽子さんとも再会。永田さんは、父が治療した少年がその後どうなったのかを気にしていたと言います。被爆直後に絶望的な状況で出会った医師と少年、その家族が再び広島で顔を合わせたこの瞬間は、78年の時を超えた感動的な再会でした。
原田さんは、父が生き残ってくれたおかげで、自分たちがここにいると感謝の念を抱きました。永田さんも、少年が無事に成長し、家族を持ったことを知り、父も喜んでいるだろうと語りました。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=CKexA48dofs,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]