紫式部といえば、日本文学史上、最も有名な作品のひとつ「源氏物語」の作者として知られています。しかし、彼女の生涯については、意外にも多くの謎に包まれています。
紫式部は、藤原氏の名門である「北家」の一族に生まれました。父親は藤原為時(ふじわらのためとき)で、学者として名を馳せた人物です。紫式部には、父・為時の教えを受けて成長し、幼少期から漢詩や文学に親しんでいたというエピソードが残っています。
紫式部は、幼い頃からとても聡明で、父が弟に教えていた漢詩をすぐに覚えてしまうほどでした。父・為時はそんな彼女を見て、「お前が男でなかったのは、家の不運だ」と嘆いたとされています。当時、漢字の学問は主に男性が学ぶものでしたが、紫式部はその制約をものともせず、深い知識を身につけていきました。
紫式部の母は、彼女が幼い頃に亡くなり、その後、父と共に生活することになります。しかし、彼女の人生は決して順風満帆ではありませんでした。藤原為時は、平安時代の政権交代により、一時的に失職してしまい、10年もの間職を失うこととなります。この期間、紫式部は青年期を迎え、知識と感性を磨いていきます。
やがて、紫式部は藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と結婚しますが、この結婚生活はわずか3年で終わりを迎えます。
しかし、その孤独の中で、彼女は文学への情熱を再燃させます。やがて、「源氏物語」の執筆に取りかかり、その才能を開花させていきました。
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