1982年、私は21歳の時に中古車で購入した初めての愛車が、このセリカでした。当時のモデルは外見こそ2.0GTに見えましたが、中身はST。サファリラリーで優勝したこの車に、一目惚れしてしまったのです。実は、本当は黄色が欲しかったのですが、手に入れたのは白のセリカでした。
カスタマイズの始まり
このセリカを購入してからのカスタマイズは、私にとって特別な体験でした。フェンダーミラーから、社外品のドアミラーに交換したり、流行のパーソナル無線を取り付けたりしました。パーソナル無線は当時の流行でしたが、無理やり装着した感は否めませんでした。
雪とともに過ごした日々
購入してからの2〜3年、特に冬は厳しかったです。雪が降るとバッテリーを外してガレージに入れなければならず、その手間は相当なものでした。しかし、そのおかげで愛車を長く大切に保つことができたのです。ヘッドライトはセミリトラクタブルライトで、周囲からは「ヒラメセリカ」と呼ばれていたことも懐かしい思い出です。
7年間の思い出
このセリカとは、7年間にわたり苦楽を共にしました。車の中で過ごした時間は、青春そのものでした。友人とのドライブ、恋人との思い出、すべての瞬間がこの車の中に刻まれています。時には故障に悩まされることもありましたが、それさえも今では笑い話です。
失われたものと残ったもの
時が経ち、車もカタログも残っていませんが、実家には一つだけ、無傷で残っているものがあります。それは、タミヤ製のラジコンです。思い出深いこのラジコンは、私がセリカを愛した証として、今でも大切にされています。愛車の思い出を語る上で、ラジコンが存在することがどれほど貴重かを感じさせます。
このセリカとの思い出は、私にとって特別な宝物です。パーソナル無線や白黒テレビという異次元カスタムを施した愛車は、単なる移動手段を超え、青春の象徴となりました。今でも実家に残るラジコンを眺めるたびに、あの頃の情熱が蘇ります。
昭和57年の思い出を振り返るとともに、車や道具にはそれぞれの物語が宿ることを改めて実感します。愛するものを大切にし、思い出を残すことの大切さを、これからも忘れずにいたいと思います。
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