1980年4月18日、宮内庁で行われた婚約会見には、多くの人々が注目していました。三笠宮家の寛仁さま(当時34歳)と麻生信子さま(当時25歳)が、ついに長年の愛を公にする瞬間が訪れたのです。寛仁さまは「ヒゲの殿下」として広く親しまれ、その個性的な風貌と温かい人柄で多くの人々に愛されていました。
寛仁さまは、この会見で明かされた一つの事実により、会場を驚かせました。それは、7年前にすでに信子さまにプロポーズをしていたということでした。当時、二人の年齢が若すぎるという理由で、周囲から反対を受けたものの、7年後のこの日、ついにその夢が叶い、正式に婚約が成立したのです。寛仁さまは「やっとこの日を迎えることができ、大変嬉しく思っています」と、喜びを隠しきれない様子で語りました。
一方、信子さまは「言葉に言い表せない気持ちです」と緊張しながらも、寛仁さまへの深い信頼と愛情を示しました。「とても温かい方で、ご指導力があり、素晴らしい方だと思います」と、彼の人柄に対する尊敬の念を表明しました。
プロポーズについて記者からの質問に対し、寛仁さまは「もちろん我が国だから男のほうからするべきだと思って僕が彼女に話しました」と、男らしく答えました。その後、彼は信子さまのご両親に直接話をし、正式に申し込みを行ったと語り、その決断力と誠実さに、多くの人々が感銘を受けました。
そして、1980年11月7日、二人は皇居内の賢所で「結婚の儀」に臨みました。皇族としての新たな責務を背負い、二人は真摯にその使命を受け止めました。
その後、昭和天皇と香淳皇后に挨拶をする「朝見の儀」が行われ、二人は深々と礼を行いました。
寛仁さまは、静かにしかし力強く「本日滞りなく結婚の儀を終了することができました。今後は二人力を合わせて皇族としての責務を全うする所存でございます」と語り、皇族としての責任を果たす覚悟を示しました。
これに対し、昭和天皇は「本日はめでたく結婚の式を済ませ慶賀にたえません。今後は互いにむつまじく、心を合わせて一家を営み、国家・社会に貢献することを望みます」と、温かい祝福の言葉を贈られました。
この婚約と結婚の出来事は、単なるロマンスの物語に留まらず、日本の伝統と歴史が交差する重要な瞬間でした。寛仁さまは、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁さまの長男であり、信子さまは元首相・吉田茂の孫という名家の出身です。二人の結婚は、皇族としての責務と家族としての絆を深め、新たな未来に向けての大きな一歩となりました。
7年越しのプロポーズが実を結び、そして皇族としての新たなスタートを切った二人。これからも、二人が力を合わせて日本社会に貢献し、その姿が多くの人々に希望と勇気を与え続けることでしょう。