江戸時代、華やかな文化の陰に隠れた悲惨な現実。それは、下級遊女と呼ばれる「夜鷹」たちの生活でした。彼女たちは貧困に苦しみ、日々命を繋ぐために体を売る仕事をしていました。
江戸時代、日本全体に広がっていた貧困。農村では不作や天災、都市では物価の高騰により、貧しい人々が数多く存在していました。特に女性にとって、自立して生きていくことは極めて難しい時代でした。多くの女性が貧困に耐えかね、最終的にたどり着いた職業が、春を売るという仕事でした。高級遊郭で働ける女性たちは限られており、それ以外の女性たちは、町の暗がりで客を引く「夜鷹」として生きるしかなかったのです。
夜鷹たちは「立ちんぼ」とも呼ばれ、江戸の街中で夜になると姿を現しました。川沿いや堀端、木材置き場などの暗い場所に出没し、通りかかる男性に声をかけて客を取る。彼女たちの生活はまさに過酷なものでした。
夜鷹たちの生活は、貧しさと危険が常に伴うものでした。彼女たちの揚げ代はわずか24文(現在の価値で約400〜600円程度)という低価格であり、それだけで生活を成り立たせるのは非常に困難でした。揚げ代の安さゆえ、彼女たちは老年に達してもこの仕事を続けざるを得なかったのです。中には70代の夜鷹もいたとされ、彼女たちは白髪を黒い油で隠し、抜けた歯を見えないようにして、年齢を偽って働いていました。
彼女たちが働く場所は、屋外が基本。草むらや川岸に布を敷き、その場で客を取る。そういった劣悪な環境下での労働により、多くの夜鷹たちは性病に苦しむことになりました。特に吉原などの遊郭を追われた女性たちは、病にかかり、さらには客から暴力を振るわれることもありました。
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