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江戸時代の酒と居酒屋について!“行きと帰りで富士山を二度見た”酒がなぜ激売れしたのか?
2024/08/12

江戸時代、酒の醸造技術が飛躍的に向上し、質の高い酒が次々と誕生しました。特に、関西から江戸に運ばれてきた酒は「下り酒(くだりざけ)」と呼ばれ、庶民から上級武士まで、幅広い層に愛飲されました。「京の着倒れ、大阪の食い倒れ、江戸の飲み倒れ」と称されたほど、江戸の人々は酒をこよなく愛し、その消費量は膨大なものでした。

江戸で愛された「下り酒」

江戸時代の初期、京や大阪から江戸に運ばれてきた「下り物(くだりもの)」は、生活必需品から嗜好品まで、多岐にわたっていました。その中でも、特に人気が高かったのが「下り酒」です。下り酒の中でも最も人気を博したのが「諸白(もろはく)」という銘柄でした。諸白は、米と麹米の両方に精白した米を使って醸造され、16世紀中頃に奈良で作られるようになったものです。

江戸時代に入ると、摂津(現在の大阪府や兵庫県の一部)で主に生産されるようになり、特に池田や伊丹、鴻池などが名産地として知られていました。

諸白はその品質の高さから「江戸の三酒」として高く評価され、酒の銘柄を格付けする「見立番付」でも、常に上位に選ばれていました。江戸時代中期からは、新たに「灘酒(なだざけ)」と呼ばれる新興勢力が登場。灘は現在の兵庫県西宮市から神戸市にかけてのエリアであり、特に西宮郷、今津郷、大阪郷、三陰郷、西郷の「五郷」が下り酒の主な産地として台頭しました。

灘酒が急速に人気を博した理由の一つは、「唐箕(とうみ)」という精米機の導入です。

これにより、効率よく精米することができ、精度の高い酒を大量に生産できるようになりました。また、灘は海に面していたため、酒を輸送する際にも大きな利点がありました。こうして生産された灘酒は、江戸市場を席巻し、次第にその地位を確立していきました。

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