平安時代の武人・公助
平安時代、一条天皇の治世に仕えた武人・公助(きみすけ/きんすけ)。彼の親孝行の物語は『前賢故実』に詳しく記されています。公助は、摂政藤原兼家の随身(ボディガード)である武則(たけのり)の子供として、その名を知られていました。
賭射の失敗と父の怒り
ある日、右近馬場(うこんのばば)で行われた賭射(のりい)に臨んだ公助。しかし、その結果は惨憺たるものでした。彼の射は人並み以下で、まるで初心者のようでした。これを見ていた父・武則は怒り狂い、その場で公助を鞭で打ちました。
「このたわけ者め!武人の子が何たる体たらくか!」
公助の耐え忍ぶ姿
公助は逃げることもせず、ひれ伏して父の鞭打ちを受け続けました。やがて武則の怒りが収まると、彼はその場を去りましたが、公助の体はボロボロでした。その場に居合わせた人々は驚き、公助に問いかけました。
「なぜ逃げなかったのか?あなたの足なら、老いた父上から逃げることなど容易だっただろうに」
公助の答えと感動
公助は息を荒くしながら答えました。「父上は年老いて気が短くなっているゆえ、私が逃げれば必ず追いかけてくるだろう。もし転んでお怪我でもされたら、それこそ私の重罪です。
この言葉に人々は深く感動し、公助の親孝行の心に打たれました。親孝行とは形は様々ですが、公助のように自己犠牲を厭わない姿勢はまさに尊いものです。
親孝行の評価とその後
このエピソードは藤原道長にも伝わり、公助はその後、覚えめでたく取り立てられることになりました。
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引用元:https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0WH4egXA2qfqGxCrmHa33g5yD4Equ8EjC8Af1xEbwwfjsJ1zsQc7BEkSFfiiR67bcl&id=100063888828687,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]