古来から日本の歴史には女性同士の愛が存在していました。しかし、その存在は時代背景や社会の価値観により、隠されることが多かったのです。今回は、歴史の表舞台から抹消された女性同士の愛の歴史を紐解いていきます。
古代から室町時代にかけて、女性同士の恋愛に関する記録はほとんど残されていません。これは、社会の表舞台に立っていたのが男性であり、仏教の思想によって女性は穢れとされていたためです。そのため、女性に関する記録が少なく、特に女性同士の恋愛についてはあまり明らかにされていません。
縄文時代から古墳時代にかけて、恋愛観そのものが現代とは大きく異なり、子供を産むことに重きが置かれていました。愛情よりも子孫繁栄が最優先とされていたこの時代、女性同士の恋愛はもっぱら「遊び」として許されていた可能性があります。しかし、それが記録に残ることはほとんどありませんでした。
唯一、女性同士の恋愛が記録に残されたものとして鎌倉時代の『我が身に宿る姫』があります。平安時代を舞台にしたこの物語には、同性愛や近親愛など、多様な性愛が描かれており、女性同士の恋愛も描かれています。
江戸時代に入り、女性同士の恋愛に関する記録が増え始めます。この時代は性に対して寛容な時代と言われ、実際に女性同士の性行為を描いた浮世絵も存在します。
江戸時代の浮世絵師である石川雅宣の作品『床の置物』には、女性同士の性行為が描かれています。
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