江戸時代から日本社会に存在していた「穢多非人(えたひにん)」という被差別身分。彼らは社会から排除され、異なる存在として扱われてきましたが、その実態はあまり語られることがありません。
江戸時代、日本社会は厳格な身分制度で成り立っていました。武士、百姓、町人の三つの身分階層があり、百姓と町人は納税義務を負う一方で、武士は支配者としての地位を保っていました。しかし、これらの身分の外に位置する存在として「穢多非人」という人々がいました。
「穢多」とは、主に動物の処理や皮革加工、そして葬儀に関わる仕事を担っていた人々を指します。当時の宗教観では、血や死といった「穢れ」に触れる行為が忌避されていたため、穢多は「汚れた仕事」に従事する人々とみなされ、社会から隔離されていました。
一方、「非人」とは、犯罪者や乞食、あるいは身分のない漂流民などを指し、社会から除外された存在として扱われていました。非人たちは固定の住所を持たず、乞食や犯罪者として生活することが一般的でした。このように、穢多と非人は異なる職業的背景を持ちながらも、共に差別される存在として扱われていたのです。
穢多非人が誕生した背景には、日本特有の宗教観が深く関わっています。
例えば、葬儀の際に用いられる「清めの塩」は、死の穢れを払うためのものです。
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