日本から唯一のキャッチャーとしてメジャーリーグに挑戦し、打者に不利とされているセーフコ・フィールドを本拠地にしながらもシーズン本塁打18本を記録するなど、歴代でも屈指のバッティングを誇る名捕手、城島健司。その彼を育て上げたのは、数々のチームでエースとして活躍し、優勝請負人として知られる工藤公康でした。工藤は強いチームを作るため、自らを犠牲にしてまで城島をスパルタ指導したことで知られています。城島が捕手として大成できたのは間違いなく工藤の功績でしょう。しかし、城島はある時、工藤の指導について「あれはいじめだった」と発言したことがあります。一体なぜ城島はこのような発言をしたのでしょうか?今回は、城島と工藤の関係について、そして工藤のスパルタ教育の実態に迫ります。
2020年、ソフトバンクの会長付き特別アドバイザーに就任した城島健司。春季キャンプに参加し、練習前には王貞治球団会長、工藤公康監督と共に談笑する場面が見られました。選手やスタッフ全員の前で自己紹介をし、「若い時に工藤さんにめちゃくちゃいじめられてました」と語り、正捕手に成長したエピソードをネタに工藤をいじって選手たちの爆笑を誘いました。
もちろん、この「いじめ」という表現は冗談半分のものでしたが、城島が工藤からスパルタ指導を受けていたのは事実です。
城島健司がプロ野球選手を目指したきっかけは、幼い頃に見た王貞治の引退挨拶でした。小学校4年生から少年野球チームで捕手を務め、高校時代には別府大学附属高校で4番を打ち、高校通算70本塁打を記録。しかし、甲子園出場は叶わず、1994年のドラフトでダイエーから1位指名を受け入団します。
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