記事
画像集
戦争が続いていると信じ29年潜伏を続けた「最後の日本兵」小野田寛郎さん 戦いを終えメディアの前に(1974年)
2024/08/12

1974年3月、日本全土が一人の元兵士の帰還に沸き立ちました。その名は小野田寛郎。彼は第二次世界大戦が終わった後も、フィリピンのルバング島で約29年間にわたり、潜伏を続けていた「最後の日本兵」として知られています。戦争が終わった事実を信じず、命令に従い続けた彼の壮絶な戦いと、その後の帰還が日本中に衝撃を与えました。

ルバング島での潜伏生活

1944年、小野田寛郎は中野学校を卒業し、陸軍少尉としてルバング島に派遣されました。彼に与えられた任務は、ゲリラ戦を展開し、敵軍の進行を妨害すること。彼は部下とともに島のジャングルに身を潜め、連絡が途絶えた後も、上官からの命令を忠実に守り続けました。

戦争が終結した後、幾度となく降伏勧告のチラシやラジオ放送が行われましたが、小野田はこれを敵の策略と見なし、受け入れませんでした。彼の信念は揺るがず、食料や生活物資を現地で調達し、仲間とともに生き抜く道を選びました。しかし、年月が経つにつれ、仲間は次々と命を落とし、小野田一人が孤独な戦いを続けることとなりました。

日本への帰還

1974年、小野田はついに帰還を果たしました。そのきっかけは、日本からルバング島に訪れた青年、鈴木紀夫との出会いでした。鈴木は小野田を発見し、彼に戦争が終結したことを伝えましたが、小野田はまだ信じようとしませんでした。彼が帰還を決意したのは、上官の谷口少佐が現地に赴き、自ら命令を解除した時でした。

小野田はようやく「戦争が終わった」という事実を受け入れ、祖国日本へ帰還する決意を固めたのです。

メディアの前で語る小野田

帰還後、小野田は日本のメディアに姿を現し、29年間の潜伏生活について語りました。

記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください

徳川慶喜 21人の子どもたちのその後 勝海舟の養子にも!飲酒運転でひき逃げを起こした子も!?
2024/09/09
【遊郭史】歴史上に名を残す有名な花魁と、悲劇の遊女「若紫」の最期
2024/09/09
【衝撃!!】古代日本の謎の部族”サンカ”とは何者だったのか?/縄文時代の記録を残さなかった理由とは?【ゆっくり解説】
2024/09/04
【驚愕】あの有名人が歴史上の人物の子孫だった!?ネットで話題沸騰中www
2024/09/03
江戸時代、女が罪を犯したらどうなるのか?実際にあった事件と女牢の恐ろしい実態!
2024/08/29
関ヶ原の戦いで敗れた武将の末路。徳川家康は鬼だったのか?
2024/08/29
実は幕末最強だった!?肥前佐賀藩の『圧倒的な強さ』の理由とは?
2024/08/29
【海外の反応】「日本は別格すぎないか!?」アメリカの写真家が撮影した100年前の写真に衝撃の様子が…!明治時代の日本の日常に世界が絶賛!
2024/08/27
【驚愕の発見!?】剣山アーク伝説を追ってたら、皇室の菊花紋が刻まれた鏡を発見!剣山の見番だった新田亀三郎さんの実家、徳島県木屋平から出てきた亀三郎さんの写真と菊花紋の鏡!ソロモンの秘宝エピソード11
2024/08/25