金田正一氏は、通算400勝を達成した史上最高の投手として知られています。しかし、名球会の創設者である金田が、その団体を私物化したとして、王貞治氏が問題視したことがありました。今回は、その背景に迫ります。
金田正一氏は、長身から投げ下ろすストレートと縦に割れるカーブを武器に、プロ野球で29年間にわたり活躍しました。彼のキャリアは、沢村賞や最多勝など数々のタイトルを手にすることで彩られており、通算で400勝、298敗、365完投という驚異的な成績を残しています。
金田の野球人生の始まりは破天荒そのもので、高校時代は喧嘩に明け暮れていた彼が、愛知県の強豪校、愛知県競泳商業高校に転校し、野球部に入部しました。徹底した走り込みと体づくりを学び、エースとして活躍するも、甲子園出場は果たせませんでした。家庭の経済状況を考慮し、高校を中退して国鉄スワローズに入団した金田は、プロ1年目から活躍し、以後も毎年20勝以上を挙げるという偉業を成し遂げました。
金田正一氏は、引退後に名球会を創設しました。この団体は、プロ野球で通算200勝、または2000本安打を達成した選手が入会資格を持ち、野球界に貢献することを目的としています。名球会の創設には、長嶋茂雄氏や王貞治氏も深く関わっており、金田の存在があったからこそ成り立ったとも言えます。
しかし、金田はこの名球会を私物化し、自身のビジネスに利用していたとされています。名球会の事務所を自身の個人事務所内に設置し、グッズ販売やイベント運営などの収益を自分の会社に流し込んでいたのです。
金田の私物化に対して、名球会の副会長であった王貞治氏はクーデターを起こしました。王氏は、金田のワンマン運営と金銭関係の不透明さに対して反発し、名球会の改革を目指しました。
2009年12月に臨時株主総会が開催され、金田は会長および取締役から退任しました。この時、王氏は名球会の新会長として全会一致で承認され、名球会の事務所は金田の個人事務所から移転し、オンラインショッピングも名球会直営となりました。
王貞治氏は、金田正一氏の不正行為について明確には公言していませんが、金田が名球会を私物化していたことは明らかでした。それでも王氏は、金田から学んだ体づくりや走り込みの重要性について敬意を表し続けています。
王氏にとって、金田はプロ野球選手としての基礎を教えてくれた恩師であり、巨人時代には頼もしいチームメートでもありました。金田の指導を受けたことで、王氏は選手寿命を伸ばし、数々のタイトルを手にすることができたのです。
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