2024年シーズンも始まり、日本ハムの新庄剛志監督が再び注目を集めています。昨年は最下位からの逆襲を目指し、今年も期待が高まる中、新庄監督の過去のエピソードに焦点を当ててみましょう。彼の現役時代、特に阪神タイガース時代に起きたある大騒動について語ります。
1989年、新庄剛志は阪神タイガースから5位指名を受けてプロ入りしました。高校時代から注目されていた彼は、スカウトたちから「3位までには確実に指名される」と言われていましたが、最終的には5位指名に甘んじることとなり、悔しさを感じていました。
阪神入団後、新庄は1年目から腰痛に悩まされ、ウエスタン・リーグでも思うような成績を残せませんでした。しかし、シーズン後の秋季キャンプで見せた抜群の運動神経が首脳陣を驚かせました。元監督の吉田義男は、新庄の強肩とバネを評価し、外野手からショートへとコンバートさせました。
新庄は野村克也監督時代、「宇宙人」とも呼ばれる個性的な選手でしたが、その頑固な性格が上司とのトラブルを引き起こすこともありました。特に、1995年のシーズンに起きた「正座事件」は今でも語り継がれています。
新庄が当時の監督、藤田平氏から正座を命じられた事件は、阪神タイガースの歴史の中でも異色の出来事です。新庄は足首のケアをしていたにも関わらず、遅刻と誤解されて正座を命じられました。これに激怒した新庄は、藤田監督との対立が深まり、最終的には契約更改の場で藤田監督への不満を爆発させることとなりました。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Wig5IfYlyC8,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]