江戸時代の花の都、江戸には権力が及ばぬ暗黒世界が存在していました。それが時代劇でもたびたび登場する「牢屋敷」です。「刑務所」と聞くと、現代の私たちは、囚人が服役する場所を思い浮かべるでしょう。しかし、江戸時代の牢屋敷は、まさに地獄の一丁目とも言える恐ろしい場所でした。囚人たちはどのような生活を送り、どのような思いで収監されていたのでしょうか。今回は、牢屋敷における囚人たちの過酷な実態について解説していきます。
江戸幕府が開かれ、平和な時代が訪れると、都市部を中心に犯罪が多発しました。そこで幕府は取り締まりを強化するとともに、各地に囚人を収監するための牢屋敷を設置しました。江戸市中には「小伝馬町牢屋敷」
小伝馬町牢屋敷は、日本最大の牢獄とされ、敷地面積はサッカー場を一回り大きくした広さでした。周囲は高い塀で囲まれ、外側には堀が巡らされていました。江戸時代には現在のような懲役刑はなく、死刑か追放刑、または身体刑のいずれかが主流でした。そのため、刑務所のようなシステムは存在せず、囚人たちは取調べ中の容疑者として収容されることが多かったのです。
牢屋敷には、身分や性別によって収容される場所が分けられていました。五位以下で「御目見え以上」の旗本や上級武士は「上屋敷」と呼ばれる特別な牢屋に収容され、ここは個室で清潔な環境が保たれていました。一方、一般囚人が収容される「大牢」は、まさに地獄のような環境でした。窓がなく、換気も悪いため、伝染病や感染症が蔓延し、多くの囚人が命を落としました。
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引用元:https://youtu.be/0YLsuBQ0Iaw?si=kCi010DcVnDdpI4X,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]