昭和60年、私は二十歳の時、兄貴から譲り受けた一台のGTOを手に入れた。若さゆえの興奮と自由を手にする瞬間でもあり、同時に、車に対する無限の夢と情熱を詰め込む絶好のチャンスでもあった。しかし、あの時の自分の選択が、今の自分から見れば驚きと疑問しかない「こんな弄り方」だったことに気づくとは、想像もしていなかった。
兄貴が愛用していたそのGTOは、力強さと荒々しさをまとった“武骨な車”だった。当時、GTOは私たちにとって男のロマンそのものであり、その独特のフォルムと、エンジンから放たれる重低音が街中を駆け抜ける度に心を高鳴らせたものだ。兄貴からそのGTOを受け継ぐということは、単なる車の引き継ぎ以上に、私にとっては“男としての承認”であり、特別な意味を持っていた。
しかし、手に入れた瞬間から、私の頭の中には「どうやってカスタムするか」が占領していた。ノーマルのままでは物足りなかった。仲間たちに自慢できるような一台にするためには、改造するしかないと信じていたのだ。
まず手をつけたのはホイールだ。当時の流行に影響を受け、極端なワイドタイヤを装着し、車体を低くする改造を施した。おかげで段差を乗り越えるたびに、底を擦りまくったが、その時はまったく気にしなかった。次にエンジンのチューンアップ。兄貴が大切にしていたエンジンを自分好みに改造することで、まるで自分だけのオリジナルGTOが生まれたかのような錯覚に陥っていた。
さらに車体にはステッカーやエアロパーツを貼り付け、見た目にもこだわった。しかし、その選択は「若さ故の無知」が生んだものだった。今思い返せば、GTOの美しいシルエットを台無しにしてしまったと反省している。特に後部のカスタムライトと大きなマフラーは、当時の私には「格好いい」ものでしかなかったが、今では完全にやり過ぎだったとしか思えない。
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